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來源:網絡整理 作者:中國新聞視線網小編 發布時間:2019-10-22 02:49

安全安心な水を屆ける

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給水制限記録 年度 総日數 給水制限方法 各日數 降水量
(給水制限時)
昭和47年度 35 夜間6時間斷水
夜間10時間斷水
  15
20
  2,320  
昭和48年度 126 夜間8時間斷水
夜間10時間斷水
24時間隔日給水
  31
15
80
  1,775  
昭和49年度 113 夜間8時間斷水 (一部3日に1日)
夜間10時間斷水 (一部3日に1日)
24時間隔日給水
  97
7
9
  2,657  
昭和50年度 49 夜間8時間斷水
夜間10時間斷水
  24
25
  2,697  
昭和51年度 75 夜間10時間斷水   75   1,691  
昭和52年度 169 夜間8時間斷水(地域別、全地域)
24時間隔日給水
  32
137
  1,673  
昭和53年度 7 24時間隔日給水   7   2,609  
昭和54年度 なし     -      
昭和55年度 76 夜間8時間斷水
夜間10時間斷水
  39
37
  1,920  
昭和56年度 259 夜間10時間斷水
24時間隔日給水
隔日20時間給水
  38
176
45
  1,335  
昭和57年度 67 夜間10時間斷水
隔日20時間給水
24時間隔日給水
  30
11
26
  2,430  
昭和58~62年度 なし     -      
昭和63年度 33 夜間8時間斷水
24時間隔日給水
  7
26
  2,010  
平成元年度 26 24時間隔日給水   26   1,824  
平成2年度 なし     -      
平成3年度 64 夜間8時間斷水
24時間隔日給水
  44
20
  1,941  
平成4年度 なし     -      
平成5年度 31 夜間8時間斷水   31   1,458  
平成6年度~ なし     -      
   
給水制限
日數総計 1,130            
1963年(昭和38年)の干ばつ

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 沖縄県は復帰以前にも數多くの渇水を経験しているが、その中でも特に大きな渇水がこの1963年の干ばつであろう。

 この年の干ばつは、戦後數多くの干ばつに悩まされた人々にとって、忘れがたい記憶に殘る70數年ぶりの大干ばつであった。この年は年明けから著しい低溫のため、1~3月にかけて平年値の3~5度も低めになり、そのため、あられ霜柱結氷等の異常現象が現れ、また全県的に小雨の年であった。

 この年の1月から大寒波と小雨傾向が続き、梅雨期に期待されていた雨も5月で14.8mm、6月で75.2mmと極端な小雨となっていた。

 その後も小雨傾向は続き、1~12月までの総降雨量は969.6mmと平年値2,036.8mmに対し47.6%と約半分の降雨量しかなく、當時の人々がどれほどこの干ばつに悩まされたか窺い知れる。農作物の被害は甚大を極め、パインや苗代、芋、果菜類などは千害により全県下で30~70%の被害が出た。水稲田では亀裂が生じ、主要生産物のサトウキビにも被害が拡大し、國會でも取り上げられるほど、沖縄の干ばつ被害は深刻な狀況になったのである。

 干ばつの被害は農作物だけにとどまらず、生活用水にもことかくようになり、久高島の働き盛りの男女が農作業に見切りをつけ、那覇、與那原方面へ出て 疎開生活を始めた。また、伊計島では、「水はキップで配給制にして1日2ガロンの水を求めて島民が列を作っている」と日照り地獄の様相を新聞等は報じてい る。沖縄本島においても、長期に渡る給水制限や、農作物の枯死、病害蟲の異常発生及び家畜の餓死等、干ばつの被害は広がっていった。

 一方、5月6日、米軍が管理する平山、瑞慶山の二つのダムも貯水量が減り、平山ダムはすでに底をつき、命綱である瑞慶山ダム(倉敷ダム)も、あと16日間 の水量を殘すのみとなっていた。これら渇水対策のため、那覇市が4月15日から一部地域で時間給水を実施、5月1日から那覇市全域にわたって夜間斷水を実 施、コザ市(沖縄市)においても6月27日には隔日給水を実施したのである。

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